コラム
チョコレートの話

チョコレートはお菓子の王様!
皆さんは、知っているお菓子をいくつ言えますか?
多分最初のあたりで「チョコレート」が出てくると思います。
日本国内で最も売れているお菓子はチョコレートなんです!
2012年の国際菓子協会/欧州製菓協会調べでは、1人当たりの消費量は1.9kgで、実は世界から見れば大変少ないんです。
ドイツの11.7kg、スイスの10.6kg、オーストリアで9.9kgなどという数値ですが、一年に11.7kgというと、一日平均で30gは食べているという計算になりますね。2015年の日本で一般的に売られている板チョコが50gとすると、半分以上を一日で消費しているという事になります。
チョコレートの種類
基本となるチョコレートの成分は、その中に含まれる成分によって分類されます。
ブラックチョコレート、ビターチョコレート、スイートチョコレート、プレーンチョコレートとよばれるチョコレートは、カカオマス、砂糖、ココアバターで出来ていて、ミルク成分が入っていないものをさします。
カカオの量はおおよそ40%~60%で、最近は糖分を控えたチョコレートも人気です。その場合、糖分の量を数字で表しており、100からその数字を引いた分だけ糖分が入っています。たとえば、「カカオ70%」だと、約30%が糖分であるという事ですね。
ミルクチョコレートは、カカオマス、砂糖、ココアバターに加えて、ミルク(乳製品)の入ったチョコレートです。主に、全脂粉乳、脱脂粉乳、クリーム粉乳が使われます。
クリーム粉乳が使われる場合は「クリームチョコレート」と呼ばれます。
ホワイトチョコレートは、カカオマスの油分を主体として、砂糖と練乳、ココアバターから作られています。ココアバターから苦味のある褐色部分を除去して作られているので、普通のチョコレートと比べると甘みが強いとされています。
チョコレート色はしていませんが、ホワイトチョコレートも立派なチョコレートの仲間です。
生チョコレートはスイートチョコレートに生クリームを混ぜて溶かして固めて作ります。
「生チョコレート」
次のいずれかの基準に適合するチョコレート又はチョコレート菓子に限り表示することができる。ただし、第3条第1項第1号に規定する種類別名称として「生チョコレート」と表示してはならない。
- チョコレート生地にクリームを含む含水可食物を練り込んだもののうち、チョコレート生地が全重量の60パーセント以上、かつクリームが全重量の10パーセント以上のものであって、水分が全重量の10パーセント以上であること
- (1)に適合するチョコレートにココアパウダー、粉糖、抹茶等の粉体可食物をかけたもの、又はチョコレート生地で殻を作り、内部に前号に適合するチョコレートを入れたものであって、当該チョコレートが全重量の60パーセント以上、かつ、チョコレート生地の重量が全重量の40パーセント以上であること
このように、 生チョコレートに関する規格は「チョコレート公正競争規約」(全国チョコレート業公正取引協議会制定・公正取引委員会認定)にきちんと規定されています。
生クリームや水分を多く含む性質上、消費期限の短いチョコレートです。
チョコレートの作り方
チョコレートはカカオ豆から作られています。皆さんが大好きなココアも、カカオ豆からできています。カカオの産地は熱帯雨林気候地方です。赤道の南北緯度20度以内、平均気温27度以上で、高温多湿な地域で栽培されています。
まず、収穫したカカオ豆を発酵させて乾燥させます。ここまでは地元である西アフリカ、東南アジア、中南米などで行われています。乾燥させたカカオ豆は、選別され、各地のチョコレート工場に運ばれたあと、焙煎されます。
その後、数種類のカカオニブを混合し、味の配分を決めます。
カカオニブにはココアバターが多く含まれており、それをグラインダーですりつぶすと、どろどろのカカオマスができます。ここまでは、チョコレートもココアも、作業工程は同じです。
チョコレートを作る場合は、カカオマスとココアバターなどを混ぜ合わせ、なめらかにして温度調整などを経て、型に流し込んで成型してパッケージングし、定温倉庫で熟成させ、完成となります。
ココアの場合は、カカオマスから一定量のココアバターを分離し、ココアケーキというココアの塊にします。ココアバターはチョコレートに使用されます。そして粉砕し、調整ココアの場合は砂糖と粉乳を加え、そうでない場合はそのままパッケージングしてできあがりです。
カカオと人間の遭遇
古代の中南米の人類は、サルやリスなどの動物が、カカオポッドの硬い殻を割ってカカオ豆の周りについているカカオパルプを食べて糖分を求めたように、最初はカカオパルプを食べたり、お酒にしたりしていました。生のカカオ豆は大変渋くて苦く、価値がないものとして捨てられていたのです。
ところがある時に、発酵したカカオ豆を焙煎すると、渋みが和らぎいい香りがして、しかも栄養に富んでいる事に気が付いたのです。それから人々は、脂質とミネラルを補給するための飲料としてのカカオだけでなく、薬草を混ぜたりして「不老長寿の飲み物」と呼び、大事に育てるようになりました。
また、カカオは神への捧げものや、貢物、そして貨幣として用いられました。
たとえば、1545年のメキシコの文書によれば、七面鳥は雌が粒のそろったカカオ豆100粒(しなびたカカオ豆だと120粒)、雄が200粒などと決まっていたようです。メソアメリカにはニワトリやウシやブタがいなかったので、七面鳥は重要な家禽とされていました。
また、カカオに似せた「贋金づくり」も行われていました。
このようにカカオは大変貴重なものであったため、アステカ王国では、王侯貴族の飲み物として用いられていました。
ヨーロッパへ渡ったカカオ
コロンブスは1502年にマヤ人の交易船にカカオが積まれているのをみて、カカオを大変大事にしていると報告していますが、その用途まではわからなかったようです。
1519年、アステカ王国を滅ぼしたエルナン・コルテスは、スペイン国王カルロス一世にあてた書簡で、カカオの有用性やその価値を報告しています。また、メキシコ原産のバニラもスペインに紹介しました。
ただ、スペインに入った直後のカカオは、アステカの人々が飲んでいた香辛料が入った猛烈に苦い飲み物であったのですが、甘い飲み物になってからスペインの宮廷の人々を虜にしました。
チョコレートが伝わった正確な年月はわかりませんが、およそ16世紀にカカオはメソアメリカからスペインに渡り、スペイン宮廷社会でカカオが広く飲まれるようになったのは16世紀の終わり頃で、ヨーロッパの宮廷に広まったのは17世紀になってからです。
しかしながら、カカオもバニラも当時は大変貴重な品だったので、庶民の口に入るものではありませんでした。
修道院で調理されたカカオ
1534年、初めてヨーロッパでカカオが調理された場所はスペインのピエドラ修道院という場所だといわれています。
中世の時代、修道院の修道士たちは経済的に自立した自給自足の生活をしていました。
バター、パン、チーズ、ワイン、はちみつなどが作られていたのですが、それに加えてカカオを飲みやすくするための調理法を開発することにしたのです。現在のピエドラ修道院では、チョコレート調理の記録が保存され、展示されています。
タラゴナ郊外の場所、ポブレー修道院の「チョコレートの間」には、器にカカオを捧げ持つ修道士の絵がかかっています。旧約聖書には、マンナというマシュマロのようなパンという現存しない食べ物について触れられており、カカオは神によってもたらされた食べ物という意味が込められています。
バニラと砂糖によるカカオの華麗なる変身 - バニラの栽培の成功
エルナン・コルテスによってヨーロッパに持ち込まれたバニラは、もともとアステカ帝国の人々の飲むチョコレートドリンクに入れられているものとして、既に関係深いものでした。
メキシコ以外で生産が試みられましたが、受粉を媒介するハチドリやミツバチがいないことでバニラは結実しませんでした。
人工授粉はバニラがヨーロッパにもたらされて約300年後、1841年にフランス領ブルボン島の黒人奴隷の少年、アルビウスが受粉法を発見しました。この発見によって、メキシコ以外でバニラが生産できるようになりました。
しかしながら、人工授粉が成功してもなお天然バニラの生産には開花から出荷まで約一年以上を要し、その間に多くの労働者が必要な産業で、しかもカビの蔓延や天候不順など、様々な問題を抱えています。
現在も世界的にバニラの需要は増えており、バニラの生産地は広がっています。ヨーロッパでは合成バニラを使用した場合にはその旨を表示する必要となったので、バニラの需要はさらに増えることでしょう。
バニラと砂糖によるカカオの華麗なる変身 - サトウキビからなる砂糖の大量生産
サトウキビで採った砂糖が広まったのは大航海時代からです。その前までは料理に甘みをつけていたのは、蜂蜜や甘い果物を煮詰めた糖蜜です。どちらも希少価値が高く、庶民にはなかなか手の届くものではありませんでした。
サトウキビはニューギニア原産で、インドを経てアラビア人によってヨーロッパに持ち込まれました。新大陸発見によってすぐにサトウキビは中南米に持ち込まれて栽培が始まり、大量の砂糖が料理や菓子に使われるようになりました。
サトウキビの生産と採取は過酷で、大量の人手を必要とするものでした。白砂糖への精製技術はアラブ人により開発され、ヨーロッパに伝来しました。
最初は原住民による労働力を使っていましたが、酷使と天然痘によって激減した代役としてアフリカから大量の黒人奴隷を買い入れ、中南米で働くことになりました。
そして中南米からは砂糖や天然資源がヨーロッパに送られ、ヨーロッパからアフリカには工業製品が送り込まれるという、いわゆる「三角貿易」が成立しました。
広まるカカオとその栽培
カカオが広まった理由としては、このように当時大量の砂糖が生産可能になり、ヨーロッパ人の好みに合うようにカカオの味を変容させられたからだといわれています。
当初はスペインに封じ込まれていたカカオですが、修道士などを通じて他国にも漏れ伝わりました。
17世紀には政略結婚により、スペイン王室からフランス王国へ堂々とカカオが広まって行くこととなりました。その先駆けが、1615年のスペイン・ハプスブルグ家の皇女アンナとフランス・ブルボン家のルイ13世との結婚と、1660年にアンナの姪のマリア・テレーザがルイ14世に輿入れした事です。
アンナもマリアも大のカカオ好きで、多くの菓子職人をルーブル宮殿や、ベルサイユ宮殿へ連れて行った。そのためフランス宮廷にはバニラと砂糖がたっぷりと入ったカカオ飲料が広まっていきました。
そして、フランスを中心にヨーロッパ各国の宮廷や上流階級へとカカオが広まっていきます。
コーヒーと紅茶の広がりによるカカオ飲料の衰退
18世紀ごろになると、カカオは一般庶民にも広まります。しかしながら、その頃にはコーヒーやお茶、紅茶もヨーロッパに広がります。当時、カカオをお湯を入れるだけで飲めるようにストックするには、時間も手間もかかって準備が大変でした。
焙煎した豆を砕くことから始めると30分もかかるココアにくらべて、コーヒーや紅茶などは比較的早く飲めた事と、カカオのイメージがラス・カサスがスペイン同胞の蛮行をいさめるように進言した著作を発表すると、スペインの支配した土地を奪いたい他国によって、スペインの蛮行の喧伝として用いられ、同時にカカオには「蛮行スペインのもたらした飲み物」のイメージがつき、人々はカカオから遠ざかり、カカオ衰退の時代を迎えることとなりました。
カカオの最大の課題はお湯を注ぐだけで飲める手軽さが要求されている事でした。それを1828年に成し遂げたのが、オランダのヴァン・ホーテンです。その直後に、食べる「チョコレート」も発明されます。
ヴァン・ホーテンの発明「簡単に飲めるココアパウダー」
カカオ豆の熱帯では、ココアバターが固まらないので、「食べるチョコレート」は作れませんでした。
まず、順番としては「お湯を入れるだけで飲めるココア」が出来なければなりません。カカオマスからココアバターを搾り出すことが不可欠だったのです。
単純に融けたカカオマスからココアバターを絞ることは熱帯でも出来ましたが、19世紀の熱帯地方にはその技術力も経済力もありませんでした。そして、その技術革新を行ったのは、まだ出来てまもない小国オランダでした。
ヴァン・ホーテン親子は、1815年にアムステルダムに小さなチョコレート工場を作り、人力でカカオ豆を粉砕しながらココア飲料やチョコレートクッキーを作っていましたが、当時のものは油脂分が多く、酸性が強くて水やミルクに混ざりにくいものでした。
父親であるカスパルスは、溶けたカカオマスに圧力を加え、それを布で濾すことでココアバターの量を半分以下に減らし、ココアパウダーを取り出すことに成功しました。この圧搾作業は人力で行われており、重労働でありました。
そして、酸性が強いココアパウダーのアルカリ化には、息子のクーンラートの「ダッチ・プロセス」の発明により、ココアパウダーの酸味を打消し、ココアの色調を良くし、水やミルクに溶けやすくなりました。
この親子の発見により、調整が簡単で飲みやすいココアが開発されました。
食べるチョコレートの完成
ヴァン・ホーテン親子になされたココアパウダーの製造技術ですが、その過程で余ったココアバターを生かす工夫が行われました。
あるとき、イギリスの菓子職人ジョン・フライが砂糖とカカオニブを混ぜて摩砕したものにココアバターを添加し、溶かして冷やすことで「食べるチョコレート」ができることを発見しました。
しかしながら、食べるチョコレートのつくり方は簡単ではありません。砂糖とカカオニブを単純に混ぜただけでは、ココアバターの量が足らず、固くて壊れやすい塊になるだけでした。そこにココアバターを添加すると、すべての固体粒子が覆われて流れやすくなるので、型に入れた成型が可能となり、口の中で滑らかに融けるようになります。
ジョン・フライは「食べる板チョコレート」の工場をブリストルに開設しました。フライ社は蒸気エンジンを工場の動力として使用したので、圧搾に重労働をする必要がありませんでした。
19世紀の初めにようやく食べるチョコレートと飲むカカオができたのですが、このころはまだ「ミルクチョコレート」は存在していませんでした。粉末ミルクが存在しなかったからです。
現代のチョコレートの完成
コーラーというスイス人が1850年代にヘーゼルナッツ入りのチョコレートを作った一方で、蝋燭職人だったダニエル・ペーターが舌触りと味を改良するために1875年にミルクチョコレートを誕生させました。
最初のミルクチョコレートは、融かしたダークチョコレートとコンデンスミルクを長い時間かき混ぜて乳化させ、それを冷やして固めたものでした。
そのすぐ後、1879年にルドルフ・リンツがコンチングという、高温で何時間もかけて慎重にチョコレートの生地を練る工程を発明したことで、チョコレートの苦みが軽減し、さらに舌触りの良いチョコレートができました。
チョコレートにおける温度調整――テンパリングは、いつ、誰が開発したのかは定かではありません。1936年頃にはテンパリングの機械が登場しているので、それ以前に職人が工夫して自然と発生した技術であると考えられています。
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