天然石

コ・イ・ヌール

インド南東部のアーンドラ・プラデーシュ州で発見されたと考えられているダイヤモンド。名前はペルシア語の「光の山」に由来します。発見後、インドの王族に所有されたと考えられていますが明確が記録はなく、15世紀後期にムガール帝国の初代国王のバーブルがチャガタイ・トルコ語で執筆した「バーブル・ナーマ(Babarnama)」に初めて登場します。

1739年にアフシャール朝ナーディル・シャーがムガール帝国のデリーを、占領しコ・イ・ヌールを戦利品としてペルシアに持ち帰りますが、1747年のナーディル・シャーがアフシャール族の側近によって暗殺されたため、ドゥッラーニー朝を創始したアフガニスタン国王のアフマド・シャー・アブダーリーの手に渡りました。

その後、コ・イ・ヌールはドゥッラーニー朝の第2代国王のティムール・シャーの息子のシュジャー・シャーの手に渡りました。1803年、シュジャー・シャーはアフガニスタン国王として即位しましたが、第4代国王のマフムード・シャーに廃位され、インドに亡命したものの捕まり、4年間投獄された後、自由を得るためランジート・シンにコ・イ・ヌールを手渡しました。

ランジート・シンはシク教徒とともにヒマチャル・プラデシュ州北部ラホール地方にシク王国を建国し、インド征服を狙うイギリス軍に抵抗運動続けていましたが、1839年、ランジート・シンの死後、後継者争いから内部分裂を起こし、また第一次シク戦争(イギリス軍とシク教徒による戦争)、第二次シク戦争によってシク王国は滅亡したため、1849年、インドはイギリスの統治下に置かれることとなりました。

1950年初頭、ランジート・シンの5番目の妻の間に生まれた13歳のデュリープ・ シン(Duleep Singh)は、ヴィクトリア女王にコ・イ・ヌールを献上するため、ロンドンを訪れました。

1851年、ロンドン万国博覧会の水晶宮で展示されましたが、輝きの少なさから不評であったため、ヴィクトリア女王の指示により、ブリリアント・カットが施された結果、186.1カラットから105.6カラット(21.6g)になり、現在はカリナンとともにロンドン塔で展示されています。

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