花・植物

タバコ

漢字表記 煙草、佗波古、多葉粉
学名 Nicotiana tabacum L.
花言葉 ふれあい
誕生花 8月9日
開花時期 6月中旬~11月

ナス科タバコ属の多年草。タバコの原産地は長い期間、不明とされていました。20世紀に入り、アメリカ人植物学者のトーマス・ハーパー・グッドスピードがタバコ属の遺伝子の調査を行った結果、ボリビア、アルゼンチンの最北部の高度1500メートル程度に自生していた2種類の野生種の交配によって誕生したと考えられています。

タバコは、15世紀頃に新大陸を求めてアメリカ大陸を訪れた、冒険家、学者、研究家によって、カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、トマトなどと一緒にヨーロッパに持ち込まれた植物のうちの1つで、持ち込まれた当初は嗜好品ではなく痛みを緩和する薬草の一種と考えられ、タバコの語源は、古代アラビア語で「薬草」を意味する「Tabaq」を語源とするスペイン語の「Tabaco」と考えられています。

また、ニコチンの語源は、フランスにタバコをもたらしたジャン・ニコから命名され、スウェーデン人植物学者のカール・フォン・リンネによって、ナス科タバコ属の名称を「Nicotiana」と分類されました。

日本では、1898年(明治31年)に税収の増大を図るため「葉煙草専売法」を施行し専売制が導入されたため、一般人によるタバコの栽培は違法となりましたが、1985年(昭和60年)に「葉煙草専売法」が廃止されたため、一般人によるタバコの栽培自体は合法となりました。ただし、栽培したタバコから喫煙用の葉タバコの製造、販売は違法です。

花の観賞を目的とした栽培の場合、園芸店などで「花たばこ」とも呼ばれるポリネシア、オーストラリアなどの亜熱帯地方を原産とするニコチアナと呼ばれる品種が販売されており、夏から秋にかけて、白色、赤色、ピンク色、紅紫色などの星型の花を咲かせますが、他のナス科の植物と同じように、同じ土壌で繰り返し植えると連作障害を起こすため注意が必要です。

タバコの歴史

1492年

クリストファ・コロンブスが西インド諸島のサン・サルバトル島に上陸した際に原住民にガラス玉、鏡を贈った返礼として贈られたものの中にタバコが含まれていたとされる。

トマト、ジャガイモなどの野菜類、タバコなどと一緒に1493年3月15日にスペインのパロス港に帰還。また、ヨーロッパ大陸にインディオの風土病であった梅毒を持ち込んだともいわれ、タバコが種子島に伝わる31年前の1512年には京都で流行したと記録が残されている。

1520年頃

南米大陸ではタバコの葉を古くから喫煙用として栽培、利用されていたと考えられ、16世紀初頭にメキシコのユカタン半島に上陸したスペイン人探検家のエルナン・コルテスによってパイプを利用して喫煙するアステカ族の習慣が伝えられる。

1556年

フランシスコ会司祭でフランス人のアンドレ・テヴェによって観葉植物、薬草としてフランスに持ち込まれたとされる。

1559年

リスボン駐在のフランス人大使のジャン・ニコ(Jean Nicot)によって、薬草としてフランス王家に献上。

アンリ2世の王妃であるカトリーヌ・ド・メディシスの偏頭痛の痛みを和らげる目的として嗅ぎタバコ(スナッフ)を利用し、「王妃の薬草」とも呼ばれ貴族、上流階級の間で流行。

1571年

北アフリカからスペインにヒマワリを持ち帰ったニコラス・モナルデスは著書「新世界の薬草誌」の中でタバコはがん、歯痛など20種以上の病気に効果がある薬草として紹介。

1580年頃

フランシス・ドレークは、1580年にフェルディナンド・マゼランに続き、史上2人目の世界周航を遂げたとされ、エリザベス1世から爵位を授与。1585年に西インド諸島に遠征し、1586年に西インド諸島からタバコをイギリスに持ち帰る。

1595年

ポルトガル使節団によって日本にタバコが持ち込まれる。

1600年頃

ジェームズ1世が1603年7月25日に即位。

嫌煙家であったジェームズ1世はタバコ排撃論(1604年)の中で「眼や鼻にいとわしく、脳に有害で肺に危険な風習である。なによりもその悪息ふんぷんたる煙は、まるで地獄から立ちのぼる業火の煙のようである。」とタバコの危険性、有害性を記述。

タバコ排撃論は三角貿易によって莫大な富を築いていたイギリスにとってタバコ貿易の指し止め、シェークスピアが作品の中から喫煙シーンを削除するなど経済的、文化的影響を与える。

1601年

スペイン人使節団によって徳川家康にタバコを献上。

1606年

薩摩藩主の島津義久に許可を得た服部宗重によって鹿児島県国分地方で栽培を開始。後に良質の国分タバコと知られ薩摩藩の重要な資金源となる。「花は霧島、煙草は国分」と鹿児島おはら節にも歌われる。

1607年

北アメリカのヴァージニア植民地内にジェームズタウンを建設。入植当初はイギリス王室向けに絹を輸出していたが、桑の葉にカビが発生し枯れたため、1611年よりジョン・ロルフによって商品価値の高いタバコの栽培を開始。

1619年

ムガール帝国のジャハーンギール皇帝によって喫煙禁止令が施行。喫煙者に唇、鼻、耳を削ぎ落とす罰則を与えたとされる。

1633年

ロシアのミハイル・ロマノフ皇帝によって喫煙禁止令が施行。喫煙者に鞭打ち、または唇、鼻を削ぎ落とす罰則を与えたとされる。

1655年

ミハイル・ロマノフ皇帝の後継となったアレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝(モスクワ大公)は喫煙禁止令の罰則に死刑を導入。

1717年

スペインのフェリペ5世によって植民地であったキューバにタバコ栽培と専売制を導入。

1792年

パイプタバコを販売するサミュエル・ガーウィズ(Samuel Garwith)社が創業。

1827年

イギリス人化学者のジョン・ウォーカーによって摩擦マッチが考案されたことにより、葉巻タバコの需要が増加。

1830年

フランス人化学者のシャルル・ソーリアは、ジョン・ウォーカーによって考案された摩擦マッチの火付けの悪さを頭薬を白リンに変更した黄燐マッチを発明。

1850年頃

マサチューセッツ州の牧師であったジョージ・トラスク(George Trask)により、喫煙の危険性を記した冊子が発行される。

1855年

スウェーデンのイェンシェピング社に勤めていたジョワン・ルンドストレームによって発火剤と燃焼剤を分離し、頭薬を1845年に発見された毒性のない赤リンに変更した安全マッチを開発。

1875年

パリのオペラ・コミック座でセルビアのタバコ工場に勤務する女性労働者を主人公にした「カルメン」を初演。

1876年

ヴァージニア州リンチバーグのジェームス・ボンサック(James.Bonsack)により、自動紙巻機を開発。

1880年

自動紙巻機の特許を取得。1分間に200本、1日120,000本の製造能力を持ち、紙巻職人約50人分と同等とされる。

1881年

ワシントン・デュークの経営するワシントン・デューク・アンド・サンズ社によりユダヤ系紙巻き職人の手により「デューク・オブ・ダラム」の製造を開始。

1883年

アメリカで、紙巻タバコの1,000本につき、1ドル75セントだった税金を50セントに引き下げる税率改定が実施される。

1884年

岩谷商会が「天狗煙草」の発売を開始。

1888年

ワシントン・デューク・アンド・サンズ社のタバコ生産能力が1日400万本を達成。

1891年

村井吉兵衛によって日本初の両切りタバコとなる「サンライス」の発売を開始。

1922年

ちょっとした摩擦、低温度による自然発火の危険性、リンの有毒性を危険視し、ワシントン国際労働会議により国際的に黄燐マッチの製造を禁止する条約を締結。

1964年

アメリカ厚生省のルーサー・テリー(Luther Terry)によって「喫煙と健康に関する報告」をテレビ放送。喫煙と肺ガンの因果関係が医学的に確認されたこともあり、その後の禁煙活動が活発化する。

1976年

東海道新幹線初となる喫煙車両を導入。

1989年

WHO(世界保健機構)によって5月31日を世界禁煙デーと決議される。

1995年

厚生省によって「たばこ行動計画検討会報告書」が発表される。

1998年

ANA、JALが国際線、国際線での全面禁煙と発表。

2000年

北海道国際航空株式会社(エア・ドゥ)が航空機に喫煙席の導入。

2001年

ニコチンガム、ニコチンパッチなどを一般用禁煙補助剤として認可。

北海道国際航空株式会社(エア・ドゥ)が航空機に導入した喫煙席を廃止。

2003年

受動喫煙の防止を明文化した「健康増進法」が施行。日本たばこ産業株式会社によってタバコの値上げを実施。

2006年

日本たばこ産業株式会社によってタバコの値上げを実施。

医療機関での禁煙治療に健康保険が条件付適用が可能になる。

ドイツ人実業家Alexander Schoppmann氏によって設立された全面喫煙席航空機を運行するSMINTAIR(Smoker’s International Airways / スモーカーズ国際航空)社が東京、デュッセルドルフ間の運行認可を申請。

2008年

成人識別たばこ自動販売機を導入。タバコの購入にはICカード「taspo」が必要。

2030年頃

喫煙による死者数が年間800万人になると予想される。

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花・植物の参考書籍